セミナー「欧文フォント質問箱」

10月 28th, 2008

地下鉄丸ノ内線中野坂上駅15時33分。前の打ち合わせで遅くなり、会場の東京工業大学に着いたのは始まって40分程経ってから。息を切らしてついた頃は、あらかじめ募集されていた質問への回答が始まるところだった。あとで聞けば、見逃したところは先日京都で聞いた部分とほぼ同じだったようで、なんとか間に合ったようでほっとした。

質問をたくさん聞けてよかった。具体的な話やどういったことに関心があるのかを知ることが出来る。次はいよいよワークショップっていう話もあがったりして、年を経るにつれ文字に対する興味が深まっているんだなと、小林さんの継続的な活動が大きく働いていることを感じた。

アートディレクター両氏のプレゼンテーションも面白かった。文字の遊びは面白いと思うし、崩すからこそ生まれる面白さもあると思う。基本的な約束事や、手書きの自然な形を学ぶのは大切なことだと思うが、それをふまえてもあえて崩したい、演出したいデザインというはあるだろうし、デザインする目的が何かという大きな視点から話すディレクター両氏の明瞭な作品解説が興味深かった。

和欧混植についての話は身が引き締まるし、和文に合いながら欧文単独でも使用されている実例を見ると、あとに続きたい気持ちが強くなる。

講演後、会場で久しぶりに会った方々と夕食。今シーズン初の鍋とおいしいビールを飲んで少々テンション高く喋る。

小林章の欧文タイプ・セミナー 2008「欧文フォント質問箱」ー 参加者がカスタマイズするセミナー ー

洛北文字講義

10月 24th, 2008

叡山電鉄出町柳(でまちやなぎ)駅14時32分。始発駅を出発した2両編成のワンマンカーは、全国高校駅伝の難所の跨線橋を抜け山の裾を走り出す。学生の頃までは木目が印象的なかなりレトロな電車だったが、最近はすっかりリニューアルされてワイドビューな電車になっている。モヒカン山と呼ばれていた山はどこに行ってしまったかわからなくなった。京都精華大学前駅。昔は一つ手前の木野という駅で降りていた気がする。

京都精華大学。約16〜7年ぶりに訪れた学校の変わり様に驚きながら、今回の会場「清風館」をさがす。ここの卒業生ではないが、同じ京都にある芸術大学だったので何度か遊びに来た。その時と比べて規模は倍ぐらいになっているようで、全く雰囲気は変わっている。ようやく教室を見つけ中に入るとまだ3人ぐらいしかいない。やがてチャイムが鳴ると100人近い学生が入って来た。明らかによそ者とわかる自分は学生の邪魔にならないように身を屈める。

出張をこの日に近づけ、京都まで足を伸ばしトークショーを聞きに来たのは、他の会場(翌日の大阪と東京でのTDCの講演)では盛り込まれていなかった「コーポレートフォント」についてのプログラムがあったから。それに字游工房社長鳥海さんのお話を聞く機会もいままで無く、どんな話が出るのか期待していた。

なかでも資生堂書体のデジタル化プロジェクトについての話は面白かった。資生堂に入社したデザイナーは手で描けるように資生堂書体を学ぶらしいのだが、それを描ける人が今では二人しか居らず、今後、それらの書き手が引退して行く状況をふまえて、元となる文字をデジタル化して残そうというものだった。脈々と社内に伝わる文字でも、書き手によっては解釈が違うところがあるそうで、字游工房でデジタイズした文字に対して同じ箇所に指摘はあるものの微妙にその内容が異なることがあり、そのどちらを取るのかなど苦労が多かったそうだ。

サントリー制定書体の制作顛末についても語る鳥海さんは本当に大変そうだったが、大きなプロジェクトに関わった喜びのようなものも伺えた。小林さんからは進行しようとしているコーポレート書体の予告なども飛び出し、サントリー制定書体以降ほとんどなかったコーポレート書体がまた動き出しそうな気配だった。この話を聞けただけでも京都に来たかいがあった。

学生と一緒になって、久しぶりに学生に戻った気分を味わった。小林先生からダブルペンシルでの書き方とつくられる文字の形を実習してもらい、高岡先生のコーポレートフォントの講義を聴いた。初めて聞いた鳥海先生のお話は、軽妙でほんわかとした語り口がとてもおもしろい。講義後に開かれた学生さんの作品の個別クリティックを横目で見る。またこのなかから先生方を目指す人が現れるのかなと思いながら、学校を後にして京都駅に向かった。

△京都精華大学のサイン(左)と、ダブルペンシルで描いた文字(右)。

「生活と芸術—アーツ&クラフツ展」

10月 23rd, 2008

14時02分京阪三条駅前。午前中の打ち合わせを終えて京阪電車を乗り継ぎ京都へ。駅近くのそば屋で昼食をとり京都国立近代美術館へ向かう。

ウィリアム・モリスが結構好きだ。黒々としたGolden Typeももちろんいいのだが、壁紙や造本紙面などいいのである。通った大学がバウハウスやアーツ&クラフツ運動のような教育をそのままやっていて、切り紙や植物柄を延々と描かされたときは、なんでこんなことやらないかんのかといぶかしく思い、ウィリアム・モリス?ふん!なんて思っていたが、カリグラフィーやパッケージのデザインをやるようになって植物柄を描くことも多く、黒みが強くもバランスの良いコントラストに惹かれるようになった。壁紙の下絵やシルクスクリーンなどとてもきれいで、しばらく見入ってしまった。もちろんケルムスコットプレスの作品やその他にエドワード・ジョンストンのカリグラフィーまであっておもしろかった。

もうひとつおもしろかったのは、アーツ&クラフツ運動と日本の民芸運動を対にして展示してあったこと。二つの関係があるとはいえ、並列してみる機会が少なく、対に展示してあると新しい発見もあっておもしろい。芹沢銈介濱田庄司の作品展示を見ることが出来た。常設展に展示してあった芹沢銈介の着物もかわいい。

△:うれしがって買って来たグッズ。ウィーン工房のハガキとか、かっこいいんですよ。

この展覧会は来年東京でも開催されるようだが、やっぱり東京での開催と違って混み具合が違い、非常にゆっくりと、しかも一番前でガラスにへばりついて鑑賞できるのがうれしく、来てよかったなと思うのであります。

お邪魔します。秀英体展示室

9月 12th, 2008

15時52分JR五反田駅西口。うっかり乗り過ごし、待ち合わせに遅れてしまった。おまけに地図も忘れてしまう。待ち合わせた方が持って来てくれた地図を片手に焦りながら向かうと、すぐにDNPと大きく書かれたビルが遠くに見えてきた。

大日本印刷秀英体開発室の伊藤さん、佐々木さんに、秀英体展示室を特別に案内していただく機会を得て、和文タイプデザイナーの竹下さん小澤さんとともにDNP五反田ビルにお伺いした。以前、市谷工場を見学させていただいたことはあるが、五反田ビルにお邪魔するのは初めてである。

受付ロビーから長いエスカレーターで吹き抜けを上がっていくと、左手に白が印象的な秀英体展示室がある。失礼ながら市谷工場とは趣が違い、ここはショールームそのものだ。手前のコーナーでは金属活字の組版をはじめ、過去から現在までの秀英体の貴重な使用例などが紹介され、奥の部屋では実際に秀英体の制作に用いられた原図や母型、特殊な金属活字などが展示されている。展示方法にも趣向が凝らされていておもしろい。

最初のブースでは金属活字、写植、デジタルと三世代にわたる秀英体を見ながら、展示内容を一つ一つ丁寧に説明していただいた。金属活字から写植へのデザイン変遷などは、解説が無いと気づかないこともたくさんあり興味が深まった。同行していただいたお二方からの専門的な質問にも丁寧に回答していただいて、やり取りを聞いているだけでとても楽しい。

展示の中には、秀英体の仮名の変遷を時系列にまとめたアーカイブがあり、それぞれのキャラクタごとに検索することもできた。例えば「い」などは、時代によって全く別の書体とも思える程の違いがあるように思えたが、伊藤さん曰く、形は違っていても文字の傾きや全体の持っているコンセプトは一貫していて、秀英体らしさは常に変わっていないのだそうだ。

そんな話をしながらも、現在進行中の書体改刻作業をするなかで、金属活字時代のものをなかなか超えられない、言葉でも説明できないものもあるという。金属活字特有の印刷の揺らぎによるものではないのかと尋ねても、決してそれだけではないそうだ。それは、単なる改刻にとどまらず、秀英体を受け継ぎながらも超えようとする挑戦からくる言葉のようにも聞こえた。金属活字、写植、デジタルと方式も異なり、媒体も紙からディスプレイへと移るなかで、どうしても削ぎ落とされてしまう部分も出てくるのではないかと思う。それでも、その時代の要求に応え常に超えようとする姿勢と、また新たなものを加わえていく柔軟さとが、100年以上も受け継がれてきた秘訣なのではないかと思えた。

最初のブースだけで2時間は話せると笑いながら言っていた伊藤さん。決して冗談でもないようで、見学者側の掘り下げが深かったこともあわさり、結局最後は閉館時間いっぱいまでになってしまった。きっとまだまだ、少々の時間では語り尽くせない内容があったにちがいない。

展示室見学終了後も、引き続き現在改刻中の秀英体についてのお話を伺った。多くの秀英体ファンがもつイメージを損ねること無く、新しい平成の秀英体を生み出す作業がいかに大変なことであるかが、いくつも重ねたバージョンの資料からも伺えた。今回一番楽しみにしていた和欧の混植見本も見せていただき、さまざまなバージョンが作られて和文と欧文のマッチングの検討が行われていた。予定されているファミリーは新書体も含め優に10を超えるそうで、平成の大改刻と銘打つにふさわしい一大事業になっている。

△左:探せば見つかる秀英体。パッケージにも用いられている秀英初号明朝使用例を教えていただいた。脈絡がしっかりと付いたかなは意外と少なく、和の演出やシズル感を増したいパッケージにも重宝しそうだ。右:平成の大改刻を案内するリーフレット。かわいいキャラクタ「活じい」と「トンボちゃん」が案内してくれる。

3年前に市谷工場で金属活字や母型、ベントン彫刻機のテンプレートなどを見せていただく機会があった。役目を終え今は使われることが無くなった各作業室は、作業時の状況がほとんど残されていた。今にも職人さんが戻ってきそうなのにもかかわらず、時間は止まってしまったような不思議な感じがした。しかし今回秀英体展示室を見せていただいて、秀英体は決してその時に止まってしまっていたのではなく、開発の場所を五反田に変えて更なる進化をしていたことがわかった。

この見学で、これまであまり馴染みが無かった秀英体にぐっと近づけた気がした。脈絡の強く残った仮名はとても新鮮だし、堂々とした初号の漢字など、他の書体には無い魅力もたくさん詰まっている。現在デジタルとして発売されている多くの書体も、ルーツをたどれば秀英体に行き着くものも多いそうで、秀英体の発売はいよいよ待ちに待った真打の登場というところなのかもしれない。「待ってました!」と言える日を心待ちにしている。

△:Adobe-Japan1-5のキャラクタが一覧できる秀英体細明朝のポスター。佐々木さんのオススメはトイレに貼って毎日眺めることができるようにしておくことだそうだ。Adobe-Japan4、5あたりのなじみの少ないキャラクタも一発で把握できる。(このポスターは先の講演会に参加したおりに、くじ引きでポスターを当てた方からいただいたものです。J社のIさんありがとう!)

オススメ:
文字は語る—デザインの前に耳を傾けるべきこと』株式会社ワークスコーポレーション

「作り手は考える」に大日本印刷秀英体開発室があります。

孫明遠氏講演会

9月 5th, 2008

「こんなにたくさん楷書体というのはあるもんなんか。」次々とスライドに映る楷書体はどれも姿勢が美しく、中国の楷書体に対する執着と歴史を感じることができた。

20世紀前半期、中国人による「倣宋体・楷書体」の開発と「明朝体」の受容』という講演を聴きにいった。韓国同様お隣の国である中国の書体事情もなかなか知る機会が無く、こういう講演を通して少しでも事情をつかめればと思い参加した。

徹底した研究が行われたようで、豊富な資料とともに日本との関係も含めながら解説が行われたが、半世紀を約2時間で振り返り全て憶えきることも難しく、内容を把握するには同時に配布された資料での復習が必要になった。貴重な講演だったにも関わらず、一番強く残った印象が冒頭の感想だったというのはお恥ずかしい限りだが、繰り出されるスライドの書体一つ一つに個性があって、柔らかい印象のものから端正で凛々しいものまであり見とれてしまった。

一方で中華人民共和国時代に入ってから急に質が変わったこともおもしろい。時代の変化がデザインにもたらす影響は大きかったのかなとも感じたが、書体の変化は制作上の制約や印刷媒体への適応によるところが大きいことも多く、想像だけで思い込まないようにしておこうと思う。最新の中国書体デザインも興味深く、とにかく文字に関しては歴史の深い国だから、今回見ることができた楷書体の素養を背景にして、伝統的な書体をはじめ今後の新しい展開も期待させる。

またもうひとつ興味深かったのは、長体、扁体といった正方形ではない書体も多く作られていて、当たり前に使われていたことが伺えたこと。孫氏が最後に紹介した言葉「温故知新」を違う角度から自分に響かせて、これからのことを想像してみるのが面白かった。

△:講演会の案内と当日配布された資料。

講演関連記事:アイデア327 [論文]中国におけるグラフィックデザインとタイポグラフィの歴史的発展に関する研究 1805-1949 文:孫明遠

朗文堂News09 September 2008

北京五輪開会式

8月 8th, 2008

文字が出て来てちょっとうれしかった。カウントダウンで漢数字が出て来た時はちょっと鳥肌が立った。

2008年8月8日午後8時(現地時間)と、中国の人が好きだという8づくしの日に披露した開会式のアトラクション。文字が出るたびにぐいぐいと引き込まれる。活字に見立てた張り子の一つ一つがドットになって文字を浮き上がらせる。「和」だ。カタチが少しづつ変わりなじみのあるカタチに。字体の歴史を振り返ったのか。

入場行進順もアルファベット順ではなく国名を中国の国名表記に置き換えて、画数の少ない順番に入場したそうでとてもユニークだ。中国では五十音やアルファベット順などの換わりに画数順が一般的なのだろうか。画面の英語表記の横に中国語表記があればもっとわかりやすかったんだけど。

Beijing 2008と筆文字で表現されたロゴが発表されてからずっと気になっていた。アルファベットを無理してあわせているように見えるからだ。アルファベットは用いずに漢字を用いて自国の文化を表現したアトラクション。漢字になじみのある自分にとってはとても親しみがあったが、漢字になじみの無い人にとってはどう見えたのだろうか。

カリグラフィーとの距離

8月 8th, 2008

17時48分大手町駅。普段習い事で乗り換えるだけの駅にて初めて降りてみる。

第四回 MG SCHOOL作品展『カリグラフィー・スイスをたずねて 』を見に出かけた。スイスをテーマに様々な書体で作品が作られており、一つ一つの作品の完成度の高さに圧倒されて帰って来た。

△会場となった東京大手町・ギャラリーパレス

一年半前、この作品展に選ばれることを目標に、かなり時間をかけて準備して下書きまで行きながら、結局完成させること無くこの日を迎える。三年前上京した時の目標の一つでもあったのに、参加しようとせずにただの観覧者を選んだ。ただ逃げただけのようにも思う。当時クラスメイトで目標としていた方々やスクールを通じて知り合った方々はどんどんと上達してさらに遠い存在となってしまった。一度途切れた糸をもう一度ピンと張らせるのは簡単なことではないと思っていたが、この展覧会を見てさらに大変だということを思い知らされた。淡々とレポートするつもりだったが少し思いが強くなって冷静に見れないまま帰途につく。あんなに一生懸命になっていたカリグラフィーとの距離が今少し遠い。

文字モジトークショー01「片岡朗×岡澤慶秀」

8月 2nd, 2008

14時42分JR五反田駅。暑い…。前回ここへ着た時は大雨。もう一度あの場所へしかも文字の話をまた聞きに行けるのが少しうれしい。

文字モジトークショー01「片岡朗×岡澤慶秀」を見に5tanda Sonicへ。広告やCMでよく見る丸明オールドのデザイナーである片岡朗氏と、ヒラギノシリーズのデザインや游ゴシックなどをデザイン/販売する字游工房のタイプデザイナー岡澤慶秀氏の講演を聞いた。

△左:岡澤慶秀さん(左側)。右:片岡朗さん。

お二方の文字のデザインをするきっかけからトークショーは始まる。岡澤さんとは世代がほぼ同じなので、大学の頃のEmigreNeville Brodyといったデザイナーのことや、Fontographerが日本に出て来た頃の話が自分と全く同じでとても親近感が湧いたが、ワープロの外字作成機能で卒業制作の書体を作ったというのは驚きだった。とても大変な作業だったのではないかと思うが、どうしてもやってしまいたい時は少々無茶なやり方でも作ってしまうのが学生らしいパワーなのかもしれない。

片岡さんは、展示会のプレゼンボードに文字を書く仕事がのちのち書体をデザインするきっかけとなったそうだ。一つ一つのエピソードが文字づくりの芯になっているように思えた。

そして、今回のイベントのメインとなった書体制作のデモンストレーションへ。

両氏の紹介した書体制作方法は全く異なったものだった。岡澤さんは字游工房での書体制作フローを紹介。漢字は、デザインの基本となる十数文字を下書きしたものをコンピュータに取り込み、それを基に数千字へと展開していくそうで、やはり組織で複数人で作業することを前提とした方法なのか、先日聞いた小塚昌彦さんがプレゼンした方法に近い気がした。

読み込ませた下絵にあわせて手際よくエレメントをくみ上げていき、10分程で一文字が出来上がる。基本となる文字を作れば、「木」や「日」といったパーツが蓄積され、それらのパーツを組み合わせてまた違う漢字が作られる。それを繰り返して文字は一つのフォントとして完成する。大きさが同じに見える点や線も、一つ一つの大きさや太さは異なり、微妙に調整することで同じ大きさに見えるようにしている。それぞれの部首や旁の大きさやバランスを瞬時に判断できるのは、おそらくこれまでの何万文字と制作した経験からくるもので、ご本人は何ともなさげに話していたが、すぐにできるものではないと思った。

△左:基本となる主要な文字「国」「東」を作ると、そこにできたエレメントを使って他の文字へと展開していく。右:下書きされたひらがな「あ」を読み込ませ、手際よくとレースしていく。使用しているツールは字游工房用にカスタマイズされたURW社のBezier Editorというもの。FontLab Studio5にはできない操作がいくつかあり少しうらやましかった。(日本語制作には対応していないが同様のツールがDTL FontMasterにBezierMasterとしてもセットされている。)

一方の片岡氏は全く違う書体デザインのアプローチをデモンストレーションしたくださった。

書体のデザインは骨格にあると言う片岡さん。気に入った全く趣の違う書体を重ね合わせ、浮かび上がった共通項を抽出しデザインを起こす。元となる書体は古典書体であったり普段書くような手書きの文字であったりだそうだが、どうやってその特徴を拾い上げ、さらにデザインとしてまとめるかというのがデザイナーのセンスなのだと思う。全く性格の違う骨格をブレンドすると、まとめるのが苦労するように思える2つをまた別のデザインとして作り出していた。とても大胆なアプローチが興味深かった。

△左:2種類の文字を重ね合わせ浮かび上がる線を探っていく。右:検討されたエレメント

片岡さんは「行けると思えたものを作っていく」と仰ったが、何をもって「行ける」と判断できたかというのが一番関心のあるところだ。おそらくそこが書体の一番の肝になるのではないかと思うが、アイデアスケッチや下書きはなくても画面の中で試行錯誤が繰り返されてその肝をつかみ取り、カタチにしていくのが片岡さんの見せ所になっているのだと思った。

制作のプロセスは話に聞いたことはあったが、ここまで直接的に書体のデザインアプローチと制作方法を見たことは無かったかもしれない。しかもそれをライブで見ることができたのはとても面白かったと思う。トークショーではあったが文字づくりを「魅せる」イベントとなっていてとても楽しむことができた。

文字はエロい

7月 21st, 2008

上京して間もない頃、国分寺で開催された「ハーブ・ルバリン展」でこの本と出会った。タイトルを見て思わず手に取ったが中身はエロくも何とも感じない。ところが表紙にある堂々としたローマンキャピタルは何とも艶かしい線をもっている。お客さんお目が高い、こいつは買いですぜ、と展覧会を主催する古書店の主に耳打ちされたこともあり、財布へと手をやって中身と相談する。EROSは号を経るにつれどんどんよくなり、本当はVol.3のマリリン・モンローの写真が掲載されたものが欲しかったが(これは少しエロい)、当時始まろうとしていたプロジェクトの資料にも使いたかったので、EROSとはっきりタイトル文字が写ったVol.1にした。古書店の主は、Vol.1の方が希少で買いですぜ、旦那。と言うが、やっぱりマリリン・モンローに後ろ髪を引かれている。

アイデア 329号のハーブ・ルバリン特集号に「EROS」は掲載されていた。ハーブ・ルバリンの業績を振り返る上で欠かすことができないこの雑誌、主の勧めた訳がわかった。あまりそういうところには興味が無かったが、ピンピンに尖ったエッジをもつタイトル文字はとても引きつけられる。紙面に用いられている書体の線は艶かしく、印刷のトーンや文字の揺らぎが心地よい。EROSの文字は自分にとって十分にエロい。

活字鋳造体験会

7月 12th, 2008

12時48分京急電鉄南太田駅。今年の梅雨はどこへやら。「築地活字」が催す活字鋳造体験会に参加するため、金属どころか自分も溶けてしまうような真夏のような日差しを浴びて、地図を片手に横浜市南区にある目的地へ向かう。

△左:築地活字。右:整然と並んだ6台の活字鋳造機

工場のような建物をイメージして来たが、活字棚の木目を基調にしたショールームのようなきれいな室内に驚かされる。印刷所や鋳造工場ともなると汚れても仕方がない格好をしてきたが、そんな心配はなさそうだ。明るい室内の右手には活字が収められた棚が並び、左手には6台の鋳造機が整然と並んでいる。自由に出して見てもよいとのことで、カメラを片手に拝見させていただいた。参加者がだいたい揃った所で体験会は室内の説明から始まる。代表の平工さんに概要を伺い、続いて職人の大松さんから鋳造行程について解説していただいた。

△左:活字の棚について説明してくださった築地活字代表平工さん。右:鋳造行程について解説してくださった大松さん

△左:活字棚に収められた活字。右:母型棚に収められた電胎母型

△左:八光自動活字製造機。右:右から左へ徐々に細くなる回転軸をベルトで繋ぐことによって活字鋳造機のスピードを変化させることができる。

△左:鋳造用の地金。原料は鉛・アンチモン・錫などで主に中国などからの輸入。右:溶解温度は約350〜400度くらい。真夏のこの時期は温度の調節が難しく、しかも室内はかなり温度が高い。入れるとすぐに溶ける。

△左:母型をセットする大松さん。右:参加者一人一人が名前の一字を鋳造操作することができる。うまく真ん中にあわせないと文字がずれてしまい使い物にならない。ちょうど収まったと思っても大松さんの目にはずれがすぐにわかり修正してもらった。

△左:出来上がったばかりの活字。大松さんは平気で持っていたが、実はかなり熱く思わず落としそうになる。右:築地活字の見本帳用に用意されている組版。

金属活字の説明をしながら、当時の事情を解説いただくにつれ、話はだんだんと昔話へ。金属活字が主流だった頃、一字足りないから作ってくれと夜中でも起こされたそうで、24時間365日休める日がなかったぐらいだそうだ。全員で慰安旅行にも行けることが無く誰かが留守番をしていなければならなかったそうである。これまで大松さんが携わってこられたさまざまな担当でのエピソードが面白かった。

最後に参加者の一人で、かつて印刷所を営んでいた方が持参されたライノタイプの金属活字や、およそ1cm角の中に49もの文字がある金属活字などを見せていただいて、活字鋳造体験会は終わる。

写植さえ知らない世代は金属活字などさらになじみが無い。しかし、最近は金属活字が特集される雑誌も多く、凸版ならではの仕上がりの風合いを求めて、若いデザイナーからの発注も多いそうだ。

△左:指先より小さい中に49文字が入った活字。母型はベントン彫刻機で製作されたものだそうだ。右:大型金属活字とその解説シート。

△:Linotype機で作られた活字。

△:お土産としていただいた宋朝体の活字。「彦」を鋳造体験した。

たまたまネットで見つけた活字鋳造体験会。不定期のようだが時々催されているようで、これからも体験できる機会はありそうだ。