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第55回ニューヨークタイプディレクターズクラブ展

水曜日, 6月 10th, 2009

14時32分丸ノ内線銀座駅。ダイヤモンドが落ちていないかと下を見ながらMOUBUSSINのポスター群を抜け、久しぶりに伊東屋に向かう。伊東屋での「ニューヨークタイプディレクターズクラブ展」は毎年恒例らしいが、見に来たのは今回が初めてだ。いつも気になるタイプフェイス部門はWeb上で確認していただけだったが、会期中に近くに来ることができたので立ち寄った。

左:会場となった銀座伊東屋本店。右:展覧会のDMと第55回ニューヨークタイプディレクターズクラブ展を特集した日本タイポグラフィ協会発行の「Typographics ti:」誌256号。

入選作品には、Alejandro Paul氏のカジュアルでありながら品のあるスクリプトAdios Scriptや、スリットのような大胆なカウンターが特徴のOndrej Jób氏のKilimax Boldといったユニークな書体に加え、幅広いキャラクタを備えたMark Jamra氏のExpo SerifやLinotype Libraryから発売されているAlex Rütten氏のGinkgoなどの本文用書体がリストアップされた。

ハワイ出身のBerton Hasebe氏をはじめ、オランダ王立美術アカデミー(Koninklijke Academie van Beeldende Kunsten Den Haag | KABK)TypeMediaコース出身の入選者が3人と、Reading大学出身のDan Raynolds氏など若い世代が多く入選している。ここ数年これらタイプデザインコース出身のデザイナーが、在学中に制作した書体の入選が相次いでいる。どちらのコースにも錚々たるタイプデザイナーが講師陣として名を連ね、それぞれ特徴を持ったカリキュラムが組まれている。年に一度は両校で交流もはかられているようだ。KABKではコース開始後にいきなりPythonのプログラミングの授業から始まるそうで、これはおそらくコースを率いるErik van Blokland氏やTal Leming氏など、タイプデザイナーでありながらスクリプトやツール制作も積極的にこなす講師陣の影響が大きいからかもしれない。今年KABKで行われたRobothon09でも、ここを出身した多くのタイプデザイナーが、Robofab、.ufoフォーマットベースのタイプツールなどを紹介し、プログラムとタイプデザインの関係を強く意識したクラスならではの人材を輩出していることが分かる。一方のReading大学も同様のカリキュラムはあるようだが、KABKではより深くツールを取り入れた授業をしているようだ。とても興味がわいている。

Readingのクラスは、TDC DAYのトピックでも触れたように、多言語の書体制作が特徴となっている。入選したDan Raynolds氏はLinotype社に属し書体を発表した後、Readingのコースに入り今回の受賞作を制作している。

今回入賞した書体のPDF見本帳をプリントしたもの。各デザイナーのサイトや販売ファウンドリーから入手できる。

同じ会場内で「2009日本タイポグラフィ年鑑受賞作品展」も開催されていた。大賞に選ばれたサントリーコーヒーザ・エスプレッソ「ボスの休日」は、BOSSのパイプは既にアイコンとなっていて、それがあるだけで製品に人格が備わっている感じがするおもしろいパッケージになっていた。

待ち時間120分の魅力。

金曜日, 6月 5th, 2009

13時45分JR上野駅。しとしと降る雨の中を国立博物館へ向かう。最近忙しくまたすっかり忘れていて、先日行った資生堂・サントリー展の帰りに気がついた『国宝 阿修羅展』。調べると会期は明後日までに迫り、慌てて今日に設定した。待ち時間も覚悟したとはいえ、行列は正門に迫り120分との掲示。行列のできる店には絶対行かない主義だが、最近の忙しさの反動で、待つという時間の無駄遣いもしてみたくなったので最後尾についた。ゆっくり降る雨は嫌いでなく、庭園の木々を見ながら自宅の庭の木と比べたりして時間をつぶすのも悪くは無い。

右:雨が降った方が人が少ないんじゃないかという考えは浅はか。傘で余計に身動きがとりにくく時間がかかる。後で知ったが、もうこの時点で日本美術の最高入場者数を更新していたらしい。

玉や金などの鎮壇具が展示された第一章に始まり、第二章では阿弥陀三尊像が素晴らしく、柔らかく上昇感のある曲線で表現された蓮の文様と、波打つ水をリズム感のある曲線で様式化された表現の蓮池が美しい。その奥には4体の龍が絡み合い、見事なシンメトリーのシルエットを作る「華原磬:かげんけい」を見て、八部衆、十大弟子の並ぶ大空間に移った。

十大弟子の微妙な表情の違いも面白いが、やはりそれぞれの様相に個性のある八部衆がおもしろい。幼顔で眉をひそめ、頭に蛇を載せた「沙羯羅:さから」は愛らしいく、顔が鳥になっている「迦楼羅:かるら」は、今にもくちばし横の肉垂れを揺らしながら首を振りそうだ。頭に象を載せやや上目遣いの「五部浄:ごぶじょう」は、胴体以下はほとんど欠損しているが、わずかに残った腕を見ながらどのようについていたかを想像するのも面白い。興福寺国宝館で狭いガラスケースに一列に並べられた様子とは全く違い、広い空間にそれぞれの専用の台が設けられ、柔らかい光線に包まれて、鎧に施された細かい文様まできれいに浮かび上がっている。大きな舞台に立っているせいか、どこか誇らしげにも見え、陳列される場所でこうも表情が変わるものかと思った。

そしていよいよ、八部衆の中の一体でありながら見事主役に抜擢された阿修羅像の展示室に移る。室内へ続く通路にまで係員の声が響き異様な空気が感じられたが、入って室内の混雑ぶりに驚いた。国宝仏像が展示される場合、像の向かいにデッキが設営されることが多いが、そこから見下ろすと、阿修羅像の周囲にもぎっしりと人が集まって、身動きが取れない状態になっている。押し合いへし合いしている人の中央に立たされている阿修羅像はあきらかに困惑気味だ。いや左の阿修羅は少し怒っている。右側は冷静を保とうとしているのか涼しい顔に見えるが、少し危険な状態にさえなりつつある展示台周辺の押すな押すなの状況に、絶妙なバランスで姿勢をとり続ける阿修羅像が滑稽に見えた。まさか自分が上野まで連れてこられてパンダになろうとは思っていなかっただろう。阿修羅だけは国宝館の静けさに早く戻りたいのかもしれない。

覚悟を決めてデッキを降りて阿修羅像の背後に回るが、祭りのようにもみくちゃにされながらの鑑賞は初めてだった。一体この人気は何なのだろう。三面六臂という異様な容姿でありながら、端正な顔つきに憂いの表情。華奢で現代でも通用しそうな草食系美少年が三人も揃っているのが魅力なのだろうか。細かい文様を見る間もなく、気になっていた後ろ二つの頭のつながり方だけ「ははーん」と思えるのがやっとで、押し出されるように展示室を出る。

興福寺には何度も行ったことがある。というより奈良公園付近での寺社見学の後は必ず興福寺に辿り着くので、ライトアップされた五重塔を見ると一日が終わった気がする場所だ。興福寺の仏像は南円堂、北円堂を含めほとんど見たことがあり、阿修羅像も国宝館に常設されているのを見た。今回の展示よりはるかに近寄って見られるものの、国宝館はその名にふさわしいとは思えない設備で薄暗く、ガラスケースに所狭しと仏像が並べられていて資料館の趣に近い。この展覧会では東京国立博物館お得意の美しいライティングに加え、設営方法も博物館ならではの工夫がされていて、仏像ファンにはたまらない背面鑑賞もできたのがよかったが、人の多さだけは何とかならないものか。早めの来館を心がけるしか無いか。

時々登場する文字に全く関係ない日本美術のトピック、いずれ別コーナーにまとめます。無理やり盛り込むのもなんですが、今回の展示キャプションにはタイトルにAXIS Font Basicが使われていた。花鳥文様など有機的なフォルムが特色な日本美術に、あえて明朝体ではなく無機質さのあるゴシック系書体を使うというのも、端正な顔立ちの阿修羅像を主役にした展覧会には合っているかもしれないと思った。

左:阿修羅像をはじめ、興福寺の仏像について特集された芸術新潮2009年3月号。右:展覧会の図録とポストカード。