第21回出版UD研究会「書体の作り方・選び方」
土曜日, 7月 25th, 2009頂きに雪をたたえる鳥海山(ちょうかいざん)と麓に広がる田園風景。米どころ山形の写真から講演会は始まった。アカデミー賞で話題となった「おくりびと」の舞台にもなったそうだ。そんな美しい風景が広がりまだまだ自然が豊かな所で鳥海さんは育った。多摩美術大学在学中に訪問した毎日新聞社で書体を制作していた小塚昌彦さんに、「文字は日本人にとって水であり米であり」という言葉を聞いて文字を作る仕事に就こうと決めた鳥海さん。水と米が豊かな鳥海山の麓で育った鳥海さんにとって、この言葉はとても響いたのかもしれない。
左:会場となった東京・高田馬場にある日本点字図書館。右:大きなプロジェクターを使って説明する鳥海氏。60名以上の参加者が集まった。
第21回出版UD研究会は「書体の作り方・選び方」と題され、有限会社字游工房社長で書体設計士の鳥海修氏を講師に迎え、書籍や印刷物に使う書体を見分けたり、選ぶためのてがかりについて語るというもの。前半は日本の文字表記の特徴に始まり、中国、日本の4000年の文字の歴史を駆け足で巡って文字の成り立ちを学んだ後、「本文書体についてのややこしいはなし」として本文用書体の見分け方や、書体の選択方法についての解説がなされた。
明治以降、書物を通して自然に読ませ伝えて来た本文書体の存在は、文化の礎になっていると思うと語る鳥海さん。書体の中でも本文書体は一番重要なもので、なるべく長く使われる良いものを作っていきたいと話す。そして書体には品格があるときっぱりと言う。以前の講演会で写研の石井明朝で9割近い人が品格を感じるとしたことを例にとり、それだけの人が感じるということは品格があるということで、書体を作る際にはそう言うことも考えなければいけないと話した。最近発表が相次ぐUD書体についても、実際の使用例を紹介しながら、その書体がふさわしい場面かを使う側が考えることも重要で、UD書体だからといって踊らされること無く使って欲しいと思うと話された。
書体の見極め方となるポイントを、書体を比較しながら提示したというのは大きいと思う。漢字の画数の多少で現れる黒みの問題など、言われないと気がつかないようなことにも、字游工房でデザインされた書体は調整されていて、本文用書体ならではの細やかな配慮がなされたデザインとなっている。一見みんな同じように思える明朝体も、並べてみるとその違いはよくわかった。プロジェクターでの例示のように、本文用書体は大きな面積で組んでみることも重要で、市販されている総合見本帳の面積では気がつかないことも多いのではないかと感じた。
休憩を挟んでの後半は、つい先日発表になった鳥海さんがデザインをした株式会社キャップスオリジナル仮名書体プロジェクト「文麗(ぶんれい)」「蒼穹(そうきゅう)」についてと書体制作実演だった。
このプロジェクトはキャップス社より依頼を受け始まった。文麗仮名は文学書、とくに近代文学などを想定して作られ、蒼穹仮名は外国文学など翻訳書などに適するように、頻出するカタカナにこだわりを持って作った書体だそうだ。今までに無いようなやり方で作ったというこの書体は、制作にあたり夏目漱石の「こころ」を何十年ぶりかに読んでイメージを膨らませたそうで、一つ一つの文字を丁寧に読ませたいという思いが強くなり、思いやりを持ったデザインをしたいと取り組んだそうだ。
まず2cmの大きさに鉛筆で骨格を描き、筆の動きをイメージしながら筆で一発で下図を制作した。筆で一発で描いたことで、鉛筆による下書きでは出しにくい、ひらがな特有の筆の動きがうまく得られたようだ。
左:20mmの大きさに描かれた下図。右:その後48mmに拡大して修正された下図。これをスキャンしてデジタル化する。
文字の下図を書いている時は「自分は天才かと思った。」「こんな『か』は俺しか描けない。」と思うほど、どんどんとうまく書けていたのに、いざデジタルに落とし込んで組んでみると「だめなんですよねぇ」とがっかりしたという。組みながら修正を繰り返し8回目の試作でようやく形がまとまってきたそうで、最終的には13回もの修正を繰り返えして完成させたらしい。自分ではとてもうまく書けたと思った「か」は、最終形では一番初期のものから変わってしまったそうで、「あまりに筆で描いたもののようにリアルすぎた」ことが「活字として見た時の感じが出てない」ということだった。このあたりが、活字としてのデザインのキモなのかもしれないと思えた。
そして最後にいよいよ今回制作された文麗仮名の下図に墨入れ作業を実演して下さった。
文字の墨入れ実演。事前に用意しておいた鉛筆の下書きに、小さな溝引き定規と筆で墨入れしていく。直線がほとんどない仮名では、描く場所が常に正面に来るように、紙を送るようにクルクルと回しながら少しづつ描いていく。これは写研でのスタイルだそうで、鳥海さんは逆に直線を溝引きするのが難しいそうだ。ちなみに筆は金華堂品印で「皆さんのお給料ではちょっと買えない…。800円くらいかな(笑)」だそうで「溝引きは鳥海さんの授業を受ける学生はもらえる」らしい。欲しい!
左:溝引き。曲線しかない仮名を見事に5〜6分ほどで描く。描く最中も参加者からの質問に答えながら作業していて、「(林家)正楽さんの紙切りみたいに寄席でお題をもらって文字を書いてみようかな」だって。右:外形線を描いた後、中を塗りつぶして行く。映像を撮影したが、手ぶれが激しく、お見せできるものにならなかった。残念。字游工房社サイトにきれいに撮影された動画がアップされています。
前後半併せて2時間半ビッチリとメッセージの詰まった講演会だった。作り手としてのデザインの取り組み方を聞くことができたのと同時に、使い手の目の重要性も気づかされる話がたくさんあった。カタチだけにとらわれやすい書体選びも、字間や大きさなども大きな要素で、使い方一つで見やすくもなり見づらくもなる。UD書体を使えば自然と見やすくなるのではなく、常に見極める力が大切だなと感じた講演会だった。
左上:キャップス オリジナル仮名書体見本帳表紙。表紙デザインは平野甲賀氏。右上:文麗仮名。下図段階であった「あ」上部の筆脈は最終段階ではなくなっている。左下:文麗。右下:蒼穹。いずれも漢字は文字セットの関係から筑紫明朝Lと組合わせることを想定されている。
早速帰りに「おくりびと」をレンタルして見てみた。講演で紹介されていたように雪をたたえた美しい鳥海山と麓に広がる水田で餌を探す白鳥。故郷に戻った主人公とともに東京から越して来た妻が「お水が違うせいか、ご飯もおいしく炊ける」と言う。おいしい水とおいしい米。そして美しい風景。ここで育った鳥海さんは、このおいしい米や美しい風景に接してたことが、あの表情豊かに映る文字を生み出すことに影響しているのだろうか。今度お会いしたら伺ってみたい。
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