Archive for 7月, 2008

文字はエロい

月曜日, 7月 21st, 2008

上京して間もない頃、国分寺で開催された「ハーブ・ルバリン展」でこの本と出会った。タイトルを見て思わず手に取ったが中身はエロくも何とも感じない。ところが表紙にある堂々としたローマンキャピタルは何とも艶かしい線をもっている。お客さんお目が高い、こいつは買いですぜ、と展覧会を主催する古書店の主に耳打ちされたこともあり、財布へと手をやって中身と相談する。EROSは号を経るにつれどんどんよくなり、本当はVol.3のマリリン・モンローの写真が掲載されたものが欲しかったが(これは少しエロい)、当時始まろうとしていたプロジェクトの資料にも使いたかったので、EROSとはっきりタイトル文字が写ったVol.1にした。古書店の主は、Vol.1の方が希少で買いですぜ、旦那。と言うが、やっぱりマリリン・モンローに後ろ髪を引かれている。

アイデア 329号のハーブ・ルバリン特集号に「EROS」は掲載されていた。ハーブ・ルバリンの業績を振り返る上で欠かすことができないこの雑誌、主の勧めた訳がわかった。あまりそういうところには興味が無かったが、ピンピンに尖ったエッジをもつタイトル文字はとても引きつけられる。紙面に用いられている書体の線は艶かしく、印刷のトーンや文字の揺らぎが心地よい。EROSの文字は自分にとって十分にエロい。

活字鋳造体験会

土曜日, 7月 12th, 2008

12時48分京急電鉄南太田駅。今年の梅雨はどこへやら。「築地活字」が催す活字鋳造体験会に参加するため、金属どころか自分も溶けてしまうような真夏のような日差しを浴びて、地図を片手に横浜市南区にある目的地へ向かう。

△左:築地活字。右:整然と並んだ6台の活字鋳造機

工場のような建物をイメージして来たが、活字棚の木目を基調にしたショールームのようなきれいな室内に驚かされる。印刷所や鋳造工場ともなると汚れても仕方がない格好をしてきたが、そんな心配はなさそうだ。明るい室内の右手には活字が収められた棚が並び、左手には6台の鋳造機が整然と並んでいる。自由に出して見てもよいとのことで、カメラを片手に拝見させていただいた。参加者がだいたい揃った所で体験会は室内の説明から始まる。代表の平工さんに概要を伺い、続いて職人の大松さんから鋳造行程について解説していただいた。

△左:活字の棚について説明してくださった築地活字代表平工さん。右:鋳造行程について解説してくださった大松さん

△左:活字棚に収められた活字。右:母型棚に収められた電胎母型

△左:八光自動活字製造機。右:右から左へ徐々に細くなる回転軸をベルトで繋ぐことによって活字鋳造機のスピードを変化させることができる。

△左:鋳造用の地金。原料は鉛・アンチモン・錫などで主に中国などからの輸入。右:溶解温度は約350〜400度くらい。真夏のこの時期は温度の調節が難しく、しかも室内はかなり温度が高い。入れるとすぐに溶ける。

△左:母型をセットする大松さん。右:参加者一人一人が名前の一字を鋳造操作することができる。うまく真ん中にあわせないと文字がずれてしまい使い物にならない。ちょうど収まったと思っても大松さんの目にはずれがすぐにわかり修正してもらった。

△左:出来上がったばかりの活字。大松さんは平気で持っていたが、実はかなり熱く思わず落としそうになる。右:築地活字の見本帳用に用意されている組版。

金属活字の説明をしながら、当時の事情を解説いただくにつれ、話はだんだんと昔話へ。金属活字が主流だった頃、一字足りないから作ってくれと夜中でも起こされたそうで、24時間365日休める日がなかったぐらいだそうだ。全員で慰安旅行にも行けることが無く誰かが留守番をしていなければならなかったそうである。これまで大松さんが携わってこられたさまざまな担当でのエピソードが面白かった。

最後に参加者の一人で、かつて印刷所を営んでいた方が持参されたライノタイプの金属活字や、およそ1cm角の中に49もの文字がある金属活字などを見せていただいて、活字鋳造体験会は終わる。

写植さえ知らない世代は金属活字などさらになじみが無い。しかし、最近は金属活字が特集される雑誌も多く、凸版ならではの仕上がりの風合いを求めて、若いデザイナーからの発注も多いそうだ。

△左:指先より小さい中に49文字が入った活字。母型はベントン彫刻機で製作されたものだそうだ。右:大型金属活字とその解説シート。

△:Linotype機で作られた活字。

△:お土産としていただいた宋朝体の活字。「彦」を鋳造体験した。

たまたまネットで見つけた活字鋳造体験会。不定期のようだが時々催されているようで、これからも体験できる機会はありそうだ。

トークイベント『小塚昌彦 活字三代を語る』

土曜日, 7月 5th, 2008

多くのベテランの中に、一人青年がちょっと顔をのぞかせるように映っているモノクロ写真が印象的だった。写真の中の若い小塚さんが、その後大きな仕事をいくつもこなされ、今、目の前で半世紀以上にわたる書体デザインの変遷について語っている。写真の中の小塚さんが、目の前で紹介される資料とともに徐々に現在に近づいてくるような感じがして不思議な気分になる。

金属活字、写植、デジタルと小塚昌彦さんが関わった活字三代にわたる仕事を、貴重な映像や資料を交えて紹介してくださり、文字の成り立ちから制作方法まで見ることができた。ベントン活字彫刻機など実際に稼働している様子を映像で見る機会はあまりなかったし、文字の墨入れの映像はスピードがとても速く(フィルムのスピードのせいではないと思う)手仕事の「技」を知った。時代を感じさせる写真を多く見ることができたせいか、時代背景と書体制作の移り変わりの関係が興味深い。国際貢献的な仕事もされる中、海外の紛争によって調査を中止しなければならなかった事業もあったそうで「タイポグラフィーは平和でないと育たない」という言葉が印象的だった。


左:三代のうち、デジタルの代表作Adobeの小塚ゴシックと小塚明朝。制作当時使ったという専用デザインツールで書体制作のデモンストレーションも行われた。右:会場となったCCAAアートプラザ(旧四谷第四小学校)

一代約20年、その一代の中にも細かく見れば少なくとも二代から四代含まれ、実は六代と言えるかもしれないと小塚さんは話された。代の移り変わりを体験することさえなかなかできるものではないのに、それを2回経験して三代にわたって、しかもその都度、適応するための新しい工夫に取り組まれたと思う。自分の約十五年を振り返てみる。学生時に手動の写植機を使って植字の実習したことはあったぐらいで、当時ちょっとした車が買えそうなくらいのMacintosh IIcxとLaser Writer, Fontographer3.1を使ってFont制作を始めた。就職する頃にはすでにMacが主役で、ごくたまにディスプレイ書体を写植で発注するくらい。「私は写植を経験しました」とは言いがたくずっとデジタル、しかもデスクトップで扱うことが中心だった。あと五年で約二十年経ってしまう。今後の変遷は物理的なものではなくてフォーマットの移り変わりになるのかもしれないし、表示媒体に影響を受けるかもしれない。世代が移り変わる時点で施された工夫を知ることが、今後の書体制作のヒントになりそうな気がする。変遷を知ることは大切だなと改めて思うのです。

「FontLab Studioややこしい!」とか日々ブツブツ言いながら作っているが、資料として拝見した大掛かりなものに比べると設備はとても恵まれていると思う。移り変わりを経験ことを気にする前に、こんな便利なツールを手にしておきながら20年経ってなんにもできてない方がもっと恥ずかしい。

朗文堂 新宿私塾特別公開講座 小さな勉強会『小塚昌彦 活字三代を語る
字游工房 もじマガ 文字の巨人 小塚昌彦さん