『対/組』というコンセプト。

なんじゃこれは?!もんじゃ焼きに文字など書いている場合ではなかった。

浅草から東京国立博物館「大琳派展」に向かった。展示室に入って思わず声を上げた。奇才ぶりを表現するには変な言葉しか出ない。ブツブツ言うのを隠すのにずっと口に手を当てて見入ってしまった。展示作品の多くはこれまでにもいろいろな展覧会で見たことがあったが、こうやって総覧できるとまた見方が変わる。前回の「対決-巨匠たちの日本美術」展でも俵屋宗達/尾形光琳の「風神雷神図屏風」を見たが、今回はさらに酒井抱一、鈴木其一まで加わった。それぞれの違いや特徴が比較して見ることが出来て面白いが、やっぱりこれを始めに描いちゃった俵屋宗達はすごいなと思うのであります。また、その後それぞれに我が道を極めて行って世界を作り出し、尾形光琳の「蔦図香包」や「三十六歌仙図屏風」はかっこいいし(紅白梅図屏風が見れなかったのは残念)、酒井抱一の「十二ヶ月花鳥図」はやっぱり素敵だった。

展示作品を通して目をひくのが「対/組」というコンセプト。対の屏風、軸や襖絵、扇の表裏、「風神雷神図」のみならずあらゆる作品に「対」という仕掛けがある。昔から「対/組」というものになぜか惹かれ、双子に憧れるし、仏像は「日光/月光菩薩像」や「仁王像」「四天王像」「十二神将像」などが好きだった。ピンでも素敵だが、全く性格の違うもの同士が、相方がいることでより際立ち「1+1=2」では言い表せないものが加わるように思えるからかもしれない。今回の一番、俵屋宗達の「京都・養源院の杉戸」はその絵が素晴らしかっただけでなく、表裏、阿吽、四組とくすぐるコンセプトが盛り込まれていた。

対をなさなくても良い。「俵屋宗達の絵に本阿弥光悦の書」というコラボレーションも素敵で、二人にどういったやり取りがあったのかなどを勝手に想像してしまうのも面白い。そういう想像が、文字でいえば、例えば「ローマンとイタリック」のようなコンビとしてお互いが引き立つ魅力って何だろう?ウエイトや字幅など直線的な変化ではないファミリーはどうだろう?という考えにおよぶ。アイデアをそぎ落とすべきとはわかっていても、つい、どうなるの?と考えを巡らせてくれるのだ。「対/組」という考え方は琳派だけのものではないのだろうし、歴史的な考察はがどうなのかわからないけど、「風神雷神図」の存在ってやっぱり大きいものだったんだろうかと思った。

風神と雷神を一つづつ隠して見てみた。お互い視線を合わせていないのに、相手の位置をしっかり把握しているように見えるのがおもしろかった。

△東京国立博物館 平成館

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